2020年6月18日 事故から10年が経ちました。

 

10年経った今年の6月18日、花菜の母校の豊橋市立章南中学校で、講演を行いました。「事例から学ぶ学校事故の予防について」というテーマで、教員の方々と学校事故を起こさない行動についていっしょに考える時間となりました。併せて、花菜の親友だった平松明華さんが全校生徒に向けて講演した。また、事故現場の三ケ日青年の家では、安全訓練や追悼行事が行われました。多くの報道もいただきました。下記に紹介いたします。


<豊橋市立章南中学校 講演録より>

 

花菜に会えなくなって今日で10年が経ちます。今日という日は私にとっては正直特別に辛い日で、妻も同じ思いだと思いますが、あの日章南中に呼ばれて、浜名湖に向かって、病院で花菜の死を告げられて、と鮮明に覚えていて、あれから10年経って、この618日に花菜がいた学校で、先生方に事故の話ができるまでに、自分がよく立ち直ったなぁという正直な思いで、今日はお話させていただきました。

 

一方、今こうやって、ここでお話できるようになったのは、今まで、事故から様々な人と出会い、みんなが支えてくれたおかげで、本当に感謝でいっぱいです。

 

今日はここにいらっしゃる方は、初めてお会いする方が多いのですけども、

 

その支えてくれた気持ちに答える意味でも、子どもたちの命を守るために、大人たちが何をしなければならないのか、教員として何を学ばないといけないのか、子どもの安全をきっちり考える社会になってほしいという願いを込めて、私が経験した言葉でこれからも伝えていこうと思います。

 

2020年6月18日 西野友章

 

 


2020年6月18日 SBS静岡テレビニュース


2020年6月18日 NHK名古屋ニュース


 2020年6月18日 朝日新聞より引用

 

子どもの命「守り抜く使命を」

 

豊橋市立章南中学校1年の西野花菜さん(当時12)が校外学習で訪れた静岡県浜松市の浜名湖で死亡したボート転覆事故から、18日で10年になる。真相究明と再発防止を訴えてきた父親と花菜さんの元同級生がこの日、同校で初めて講演し、教職員と生徒に命の大切さを問いかける。

 「どうして花菜はいなくなったんだ。花菜に会って話がしたい」

 笑顔の遺影に向き合い、父友章さん(61)が喪失感に覆われた胸の内を明かす。技術者の仕事を辞め、難病の妻光美さんと励まし合いながら、この10年間、「私たちと同じつらい思いをさせる学校事故を二度と繰り返してはならない」との思いで行政にかけあい、街頭で署名を呼びかけるなどしてきた。全国でその後も相次ぐ教育現場での事故に心を痛めるなか、「花菜の死を無駄にしてたまるか」との思いが2人を突き動かしてきた。

 「事故は防げた」という無念も消えていない。波風が立つなど天候不順で不安がる生徒らもいたなか、事故は起きた。花菜さんが乗ったボートを転覆させたとして業務上過失致死罪に問われた静岡県立三ケ日青年の家所長が有罪判決を受けたが、引率した校長は不起訴処分になった。

 事故後、豊橋市教育委員会は安全管理のマニュアルづくりを進めるなど危機管理体制を改める一方、6月18日を「学校いのちの日」と設定。市内の全小中学校が追悼行事を続けてきた。

 友章さんは市教委側の一連の対応も踏まえ、2年前からは市内の若手教員研修などで講師を務めるようになった。

 18日には、章南中が開く教職員向けの講演会に初めて招かれる。事故の風化を恐れた光美さんの「花菜を忘れてほしくない」という願いが受け入れられたものだ。今回の講演は10年前の事故を振り返りながら、講習中の高校生ら8人が命を落とした栃木県の雪崩事故や豊田市で起きた小学1年生の熱中症死亡事故など、後を絶たない学校事故を事例に「現場に居合わせたらどうする」と教職員に問いかけ、考えてもらいたいと思っている。

 友章さんは「かけがえのない子どもたちの命を守り抜くという使命を見失うことなく、今後の取り組みに生かしてほしい」と話す。

     ◇

 花菜さんの同級生だった豊橋市の自営業、平松明華さん(23)は、新型コロナウイルス対策で、同校の放送室から全校生徒向けに講演する。

 小学校1年生からの親友だった。突然の事故で花菜さんとの未来を奪われた。「大人になっても話したいことがいっぱいあったのに」。市内で営む焼きたてパンの店舗には花菜さんの写真を飾り、「つらいと思ったときに見る。そばで見守ってくれているようで安心する」と話す。

 講演では命や友だちを大切にすることや、夢をかなえた経験から「挑戦を続けよう」と訴えようと思っている。大切な人は突然いなくなるかもしれない。だから、「言いたいことを言おう」との思いも届けるつもりだ。目の前の相手に、素直な気持ちを伝えるだけではない。危険を周囲に知らせることも一つだ。

 「事故当時は入学まもない時期で不安を訴えることは難しかった」と振り返る。自身や仲間の命を守るため、内に秘めた勇気も出してほしいと願っている。(床並浩一)

(引用おわり)

 


2020年6月19日朝日新聞より引用

 

声震わせ父の訴え

 

浜松市の浜名湖へ校外学習に来た豊橋市立章南中1年の西野花菜さん(当時12)が亡くなったボート転覆事故から18日で10年を迎えた。豊橋市内の全小中学校で追悼行事があり、章南中では父親の友章さんが教職員に向けて講演した。友章さんは、子どもたちの命を守るために事故を教訓にしてほしいと強く訴えた。

 

 豊橋市は命日を「学校いのちの日」と定め、今年も小中学校が花菜さんの冥福を祈り、命の尊さを見つめ直した。

 

 章南中では、友章さんが教職員23人に「事例から学ぶ学校事故の予防について」をテーマに話した。市の若手教員研修では2年前から講師を務めているが、花菜さんが通った同校で話すのは初めて。「教訓をつないでほしい」と学校側が要望して実現した。

 

 友章さんは「花菜のことを知ってほしい」として、難病の母に寄り添った経験から医師を目指していたことを紹介。10年前の事故について振り返り、「施設任せで、出航の最終判断は学校である意識はあったか」「教員が生徒を守るため、校長にものを言える関係があったか」と問いかけた。栃木県で生徒と教員計8人が亡くなった雪崩事故など、学校現場でその後も繰り返された事故にも触れ、「野外教育を萎縮させないために、安全への正しい知識を学び、必要な技術を取得してほしい」と語りかけた。

 

 講演の途中、「10年前の同じ雨の日の今ごろ、花菜が亡くなったという連絡を受けた」と、声を震わせる場面もあった。

 

 同校では友章さん夫妻が寄贈した本を「花菜文庫」として活用しており、現在では541冊になる。宮林校長は「生徒の命を守るのは、第一に教員であることを忘れてはならない。10年を節目と考えず、事故のことを引き継いでいく」と話した。

 

 浜松で追悼 安全・安心誓う

 

現場となった浜名湖に近い静岡県立三ケ日青年の家(浜松市)でも、同県教委主催の追悼行事が開かれた。花菜さんの冥福を祈り、献花や黙祷を捧げたあと、友章さんの「安全モデルの施設として野外教育活動を率先してほしい。それが花菜の命を生かすことだ」とのメッセージが読み上げられ、参列者が再発防止へ誓いを新たにした。

 

 青年の家では2016年から海洋活動を再開。今年度は事故後初めて豊橋市教委の新規採用教員研修が開かれ、同市立の中学校1校が校外学習に利用する。

 

 城田守所長は「社会教育・海洋教育施設のプロとして安全・安心に一層励んでいく」と話した。

 

(引用おわり)


2020年6月19日 中日新聞より引用

 

花菜を忘れないで

 

 浜松市北区の浜名湖で野外教育活動中の手こぎボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中学1年の西野花菜さん=当時12=が亡くなった事故から18日で10年を迎えた。再発防止を訴えてきた父友章さんは娘が通った中学校で初めてボート事故について語り、聴講した教員約20人に命の重みを訴えかけた。

 

 友章さんは事故を自身で分析。「生徒の安全確保を教員全員が他人任せだった」「荒天の出航に具体的な危険をイメージできなかった」と当時防げなかった要因を一つずつ挙げながら、「生徒の安全確保は一人一人の教員」「自然の中は管理されていない状態だ。下見を充実させることが必要だ」などの教訓を伝えた。

 

 この日は、10年前の事故当日と同様、豊橋市周辺も大雨に見舞われた。講演中に事故を思い出し、時折言葉を詰まらせる場面もあった。友章さんは「事故の教訓を生かしてください。そして、花菜のことを忘れないでください」と語った。

 

 教員向けの講演は、章南中から友章さんに依頼して実現した。宮林秀和校長は「過去に学び、それを今後に生かす使命がある。講演を聴き、さらに行動を見直したい」と力を込めた。

 

子失う苦しみ 増えぬよう

  教育現場で啓発続ける

 

 花菜の死を無駄にしたくない。父友章さんは2015年から、教育現場でのこの事故の教訓を伝える活動に取り組んでいる。「せめて、わが子を失い苦しむ家族がこれ以上出ないようにしたい」。荒れる浜名湖を前になぜ中止を選択できなかったのかという疑念と、まな娘を亡くした喪失感は10年たった今も消えない。

 

 線香を上げ、朝夕食には遺骨を入れた小さなケースを前におかずを取り分けて食卓を囲む。友章さんと妻光美さんの事故後の日課だという。友章さんは「花菜のいない生活がずっと続いているだけ。気持ちの中で節目ということはない」と胸の内を明かす。

 

 15年から教員を目指す学生や、地元豊橋市の若手教員に事故を話してきた。学校現場での悲劇は毎年のように起きている。そのたびに、知識や技術を習得した教員がいれば防げたのではないかとの思いを強くする。だから、講演ではいつも「学校現場で事故が起きる要因は似通っている。あのボート事故を最前線の教員に伝え、教訓につなげてほしい」と訴えてきた。

 

 18日は、小さなペンダントを胸に潜ませ、教員たちの前に立った。ペンダントには花菜さんの遺骨が入っている。「花菜が見守ってくれるような心強さを感じる」と話す。

 

 友章さんは依頼がある学校にはできる限り出向きたいと思っている。「どんなに願っても花菜は帰ってきてくれない。それならば、事故のことを話し、少しでも社会の役に立つことが花菜の命を生かすことになる」

 

(引用おわり)


2020年6月19日静岡新聞より引用

 

冥福祈り 再発防止誓う

 

浜名湖で2010年、県立三ケ日青年の家(浜松市北区)のボートが転覆し、愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=が死亡した事故は18日、発生から10年を迎えた。同日、青年の家と同校で追悼行事が営まれ、関係者が西野さんの冥福を祈り、再発防止を誓った。

 

 青年の家の式典には県教委や県内の青少年教育施設の関係者らが参列した。代表者が西野さんをイメージした少女の慰霊像に献花し、県教委の松井和子教育監が「『安全は全てに優先するものである』の信念のもと、安全面を強化していくことを誓う」とあいさつした。

 

 西野さんの父。友章さんは書面を寄せ、「事故を経験した三ケ日青年の家だからこそできることがある。安全モデルの施設として野外教育活動を率先してほしい」と要望した。豊橋市教委は8月、新規採用教員研修を青年の家で実施する。

 

 誓いの言葉として、青年の家の城田守所長は「これからも社会教育・海洋教育施設のプロとして一層励んでいく」と述べた。三ケ日中学が歌う西野さんの追悼歌「未来(あした)へ」の合唱映像も放映した。

 

 「身近な人大切に」西野さん親友講演

 

 西野花菜さんが通った愛知県豊橋市立章南中では18日、全校生徒約250人が黙祷をささげた。西野さんの同級生で、親友だった平松明華さんの講演に耳を傾けた。

 

 市内でパン屋を営む平松さんは、西野さんについて「笑顔が素敵な温かい子だった。かけがえのない存在を失ってからでは遅い。楽しい時より、つらい時に一緒にいてくれる身近な人を大切にして」などと呼びかけた。講演は、新型コロナ対策で冒頭のあいさつ以外を校内放送で行った。

 

 同行の宮林秀和校長は「時間が過ぎるほど悲しみは大きく、どれほど重大な事故であるかをかみしめてみる。新たに着任した教員にも、この思いを伝えていきたい」と話した。

 

 放課後には、西野さんの父、友章さんが「事例から学ぶ学校事故の予防について」と題し、同校教諭に向けて講話した。

 

(引用おわり)


2020年6月19日読売新聞より引用

 

「花菜の死 教訓生かして」

 

 浜名湖のボート転覆事故から18日で10年となった。亡くなった豊橋市立章南中1年の西野花菜さん(当時12歳)の父親・友章さんはこの日、同行で初めて講演。娘の思い出を振り返り、事故の教訓を生かしてほしいと語りかけた。

 

 「ずっと花菜の命を無駄にしたくない、事故の教訓を生かしてほしい、子どもたちを大人の努力で守ってほしいと願ってきました」

 

 講演は事故翌年から毎年6月18日、市内の小中学校で行われてきた、命の尊さを伝える「豊橋・学校いのちの日」の取り組みの一環。友章さんは、花菜さんの写真をスクリーンに映しながら、こう訴えた。

 

 花菜さんを忘れた日は一日もなく、この日も遺骨を収めたネックレスを身に着けた。誕生日などの節目に、「あの日、あの店で食事をした」と思い出す。一方で、年を経るにつれ、「事故を教訓に子どもの命を守ることが花菜の死を生かすことになる」との思いが募り、2年前からは、市内の若手教員向けの研修会でも講師を務めている。

 

 友章さんは講演で、子どもが犠牲になった学校行事の事故3件にも触れて、問題点を指摘。「子どもの安全は教師が確保するという意識、十分な知識に基づいた正確な判断が必要。事故から学んだことを社会全体の共有財産とするべきだ」と語った。

 

 18日には、花菜さんの親友で市内でパン屋を開く平松明華さんも、友達をテーマに講演。新型コロナウイルスの感染防止のため、放送室から「花菜は笑顔の素敵な子だった。笑顔は人の心を温めることができる。周りの人たちと率直に話し合い、笑顔で交流することが大切です」と生徒たちに呼びかけた。

 

 小学1年から花菜さんが亡くなる直前まで手紙を交換し合っていた平松さん。月に一度は必ず仏前に参り、「生きていれば、今も連絡を取り合う一生の友達だった」と振り返る。いつも笑顔で、悩みを受け止めてくれた花菜さん。「事故を風化させたくない」との思いで講演を引き受けたという。

 

 2人の講演を聴いた章南中の宮林秀和校長は「教訓を学んでほしいいと話されたが、本当は花菜さんを返してほしい、という気持ちなのだろう。そのことを私たちは忘れず、子どもたちの安全を守っていくようにしたい」と話していた。

 

 事故後、豊橋市教育委員会は校長、教頭を対象にリスクマネージメント研修を毎年実施するなど、学校行事での安全管理に努めるなどの対応を取っている。

 

(引用おわり)