■浜名湖のボート転覆事故後の10年、関係者はどのように事故と向き合ってきたか。事故の教訓を踏まえ、関係機関、施設はどう変わったのか。それぞれの現状を伝える。(静岡新聞より)


命の重さ 浜名湖ボート事故10年 静岡新聞連載記事より


2020年6月16日 静岡新聞より引用

 

伝えることが使命

引率女性教諭 初の告白

 

 「言葉では伝えられない。私自身、どん底に落ち、辞めたいと思った時期もあった」

 

 2010年6月、愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=が浜名湖で亡くなった静岡県立三ケ日青年の家のボート転覆事故。当時、学生主任だった50代の女性教諭は自分の中で事故と向き合ってきたこの10年の思いを初めて告白した。

 

 苦悩しながら、何度も自分を奮い立たせた。「自分がやらなければいけないことがある。他の生徒や若い教員がいるから私がしっかりしなければ」と教壇に立ち続けた。「訓練前、校長に相談していれば・・・」後悔の念は今も晴れていない。

 

 事故当日。雨は降っていたが「波や風はひどくなかった」という天候はボート出港後に荒れ始めたと思い起こす。下見や前日の打ち合わせで「雨でもやる」と施設の担当者から説明を受けていたため「できるんだ」と疑問を抱けなかった。出港から50分後、西野さんらが乗ったボートが転覆。別のボートに乗っていた女性教諭は、岸に戻って状況を知らされた。大雨や強風など5つの注意報が発令されていたことは知らなかった。

 

 事故後、謝罪のため西野さん宅に通ったが、面会を拒絶される日々が数週間続いた。「そんな言葉を聞きたいんじゃない。花菜を返してくれ」。この上ない悲しみと怒り。両親の声が重く響いた。

 

 今も時折、友だちと楽しそうに話す西野さんの光景が脳裏に浮かぶ。「事故を、若い教員や子どもたちに伝えていかなければならない」と自分に課せられた使命だと言い聞かせている。

 

 元校長は検察の判断で不起訴処分となり、学校の過失は認定されなかった。ただ、校長経験もある豊橋市の現教育長、山西正泰さんは教育現場の責任者として「学校に送り出した子どもが帰ってこないという状況を、絶対につくってはいけない」とかみしめる。

 

 同市は今年8月、新任教員の研修を三ケ日青年の家で行うことを決めた。事故が起きた場所で教訓を伝えるためだ。「現場で見ることで感じるものがあるはず」。山西教育長は再発防止に向けた意義を強調する。

 

 

 浜名湖のボート転覆事故後の10年、関係者はどのように事故と向き合ってきたか。事故の教訓を踏まえ、関係機関、施設はどう変わったのか。それぞれの現状を伝える。

 

(引用おわり)


2020年6月17日 静岡新聞より引用

 

安全対策終わりなし

施設運営に教訓生かす

 

 浜名湖で愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=が亡くなった当日、「浜名湖海の駅連絡会」事務局長として消防やマリーナとの連絡役を担った救助艇製造会社社長、城田守さんは「施設が適切な判断をできていれば」と思い起こす。城田さんは現在、県立三ケ日青年の家(浜松市北区)の所長。「自分にとって一生忘れることのできない事故。安全対策に終わりはない」。関わった一人として、自ら感じた教訓を運営に生かす。

 

 「ボート事故があったらしい。出ている船はあるか」。2010年6月18日午後、自宅にいた城田さんに新居マリーナ(湖西市)から連絡が入った。「風が強く、雨も既に本降りだった」浜名湖の状況から、「こんな天候でボートが出るはずがないと思った」と振り返る。まさか、と不安を募らせながら関係先と連絡を取った。

 

 浜松市西区村櫛町の海岸沿いへ移動し、市消防局西消防署の船のスタンバイ要請に対応したが、生徒1人が見つかっていないとの速報が入っていた。その後、「全員救助」の一報。ようやく緊張が解けて、胸をなで下ろした。だが、帰路に就こうとした際に再び電話が鳴った。「先ほどは誤報。まだ見つかっていない」。この時、転覆から既に1時間半以上が経過していた。

 

 事故後、青年の家の設置者である県は国の運輸安全委員会の勧告を受け、安全対策や緊急時対応マニュアルを策定するなどの対策を講じた。県教委社会教育課の山下英作課長は「安全は全てに優先する。現在は青年の家と連携し、徹底している」と強調する。

 

 14年から指定管理者として青年の家を運営する三ケ日フィールドパートナーズは約1年間の引き継ぎ期間を設け、その上で毎月2回以上の救助訓練を重ねている。事故から5年10ヶ月後、県教委の青少年教育施設等安全対策委員会での体制の確認などを踏まえ、停止していた海洋活動を再開した。だが、対策に万全はない。「想定外のことが起こる。防ぐには訓練しかない」と城田さん。マニュアルも継続的に見直しを進め、想定外に備える。

 

 昨夏、浜松市と豊橋市、長野県飯田市の中学生が集まった三遠南信交流推進事業で、事故後初めて豊橋の生徒が青年の家で海洋活動を行った。城田さんは「事故があった現場で活動することが教訓になる」と心に刻み、ボート事故と再発防止への決意を伝え続けていく。

 

(引用おわり)


2020年6月18日静岡新聞より引用

 

「正しい知識で守って」

西野さん父 再発防止訴え

 

2010年に浜名湖で県立三ケ日青年の家のボートが転覆し、死亡した愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=の父、友章さんが17日までに、取材に応じた。18日で事故から10年。「大人である教師の側が正しい知識や技術を持ち、子供の命を守ってほしい」と改めて訴えた。

 ー現在の率直な思いは。

 「発生の6月18日が近づくと、花菜に会いたくなる。社会人になっていく同級生を見守りながら、花菜のことを思い浮かべる。子供を亡くす事故を繰り返して欲しくない。教訓を生かすとはどういうことかを考えている」

 

 ー学校側の刑事上の過失は結果的に認定されなかったが、問い続けてきた。なぜか。

 「事故から目を背向けないでほしかった。豊橋市教育委員会には、青年の家の言う通りにしたために大事な生徒を亡くした、自分たちも被害者だという意識があった。一般市民から見れば、学校が刑事責任を問われても有罪か無罪か、結果しか見えない。学校は悪くなかったという結論であれば、事故の教訓は生かせない。責任者の元校長を公開の場で審議し、事実関係を明らかにすることが再発防止につながると考えた」

 

 ー豊橋市と民事裁判で和解した。

 「市長から謝罪はあったが、それだけでは再発防止には具体的にはつながらない。当時の関係者や現在の教育委員会の幹部、先生らが定期的に弔問に来てくれる。ただ、大事なのは実践ではないか。生徒を守るのはあくまでも学校だと、教師の意識を変えてほしい、訴えてきた。意識の変化は目に見えにくく、訴え続けるしかない」

 

 ー豊橋の学校が浜名湖で野外活動を少しずつ再開している。

 「事故を起こさないために三ケ日を避けるようなことをしていたら、花菜の教訓は生かされない。施設側もボートの改良など安全面の対策を取っている。一方で、先生たちが、道具がよくなったから『大丈夫だろう』と考えるようでは困る」「事故の前、三ケ日の野外活動には教育的な意義があったはず。趣旨を生かしながら、大人である教師の側が正しい知識や対策を打つような姿勢を持つことこそが、重要ではないか」

 

(引用おわり)