2020年12月19日 第11回「菜の花キャンドル」は、三ケ日青年の家で行われました。


今年から、三ケ日青年の家がこの行事を引き継いでくれます。

 

昨年までは近所の公園で、同級生を中心に開催していました。同級生も社会人の年齢になり、この行事を10年を区切りに見直そうと思っていました。そんな折、三ケ日青年の家から「菜の花キャンド」引き継ぎの提案を受け、今年から、事故現場の静岡県立三ケ日青年の家が主催してくれることとなりました。

 

同級生においては、日時の迫った連絡にもかかわらず、集まってくれました。

 

事故から10年半、私たちは決して忘れない。

 

同級生や学校や県教委、報道や地域の方、みんな同じ思いで集まりました。

 

新しい命もありました。未来へのメッセージもありました。温かい歌もありました。とてもいい時間でした。

 

西野友章

 


2020.12.18静岡新聞より引用

 

「教訓」のキャンドル 三ケ日で受け継ぐ

 

今月他界 母光美さんの想い乗せ

 

 2010年6月に県立三ケ日青年の家のカッターボートが浜名湖で転覆した事故で死亡した愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12、写真=を悼む行事「菜の花キャンドル」が19日、浜松市北区の同青年の家で営まれる。12年まで3回、同青年の家で行われた後、豊橋市に会場を移した。事故後10年の今年から、キャンドルに西野さんの冥福を祈り再発防止を誓う行事は、県内で受け継がれる。

 

 西野さんは、同青年の家での海洋活動中、悪天候で航行不能となりえい航中に転覆したボート内に閉じ込められて命を落とした。菜の花キャンドルは事故後の3年間、当時の指定管理者が主催し同青年の家で行われていたが、友人らが訪れやすいよう13年から西野さんの地元の公園で両親を中心に開いていた。

 

 通算10回目の予定だった昨年は雨のため中止に。同級生が就職の時期を迎え「区切りをつけよう」とした父の友章さんに、同青年の家の城田所長が「現場の三ケ日で事故の教訓を伝え続けるべきだ」と提案し、継続が決まった。

 

 今月3日、西野さんの母光美さんが59歳で他界した。事故以降、思い出すことが怖くて浜名湖を避け続けてきた光美さんの気持ちを知る城田所長は、「ご両親は10年間、一緒に闘ってきた。友章さんは今、悲しみの中にいると思うが、私たちはずっと応援していく」と話す。当日は光美さんの思いも乗せ、キャンドルに明かりをともす。

 

 新型コロナウイルスの影響で人数を絞って実施する今回は、友章さんをはじめ、静岡県教委社会教育課、章南中や三ケ日町の小中学校教職員、西野さんの同級生など関係者が出席する予定。西野さんをイメージした少女の慰霊像の前で、設置した発光ダイオード(LED)を点灯させる。

 

難病と闘い19年「娘亡くし つらい日々 頑張った」

 

 2010年に浜名湖で発生したカッターボートの転覆事故で死亡した愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=の母光美さんが今月3日、59歳で亡くなった。難病に指定された多発性硬化症(MS)との闘病生活を19年間送っていた。

 

 介護を続けてきた夫の友章さんによると、1級建築士だった光美さんは40歳で発症し、入退院を繰り返した。花菜さんも病室の光美さんの横で多くの時間を過ごし、医師になる夢を抱いたという。事故を巡る一連の裁判などで静岡地裁(静岡市葵区)へ傍聴に通う際は、浜名湖を避けて新東名のルートを選んでいたという。

 

 友章さんは「娘を亡くしてからつらい日々をよく頑張った」と妻をねぎらった。花菜さんの親友で豊橋市内でパン屋を経営する平松明華さん(23)は「パン職人になる夢を応援してくれた。思いを込めてキャンドルをともしたい」と感謝した。

 

(引用おわり)

 


2020.12.20 中日新聞より引用

 

花菜さんの光 集う友

 

 浜松市北区の浜名湖で2010年6月、野外活動中にボートが転覆して亡くなった愛知県豊橋市立章南中学校1年の西野花菜さん=当時12=の追悼行事「菜の花キャンドル」が19日夕、同区の静岡県立三ケ日青年の家であり、中学時代の同級生ら約20人が発光ダイオード(LED)をともして花菜さんをしのんだ。

 

 命日のほかに、父友章さんら遺族や友人たちが花菜さんの思い出を語れる機会をつくろうと、12年までは海洋活動委託先の同施設でこの追悼行事を開いていた。13年以降は会場を豊橋市内の公園に移して行われ、同級生の多くが大学卒業を控えた昨年12月(雨天で中止)で区切りをつけようとしたが、三ケ日青年の家の城田守所長の呼びかけにより、会場を三ケ日に戻して継続した。

 

 花菜さんの生前から難病の多発性硬化症(MS)と闘ってきた母光美さんが今月3日、59歳で他界した。友章さんは「花菜を突然失った精神的ストレスから、闘病に悪影響が出たと感じた。遺影に選んだのは、母子二人が笑顔で並ぶ写真。それを見ると、私の気持ちも少し和らぐ」と心境を語った。

 

 会場には、花菜さんが習っていたバイオリンをかたどったLEDが点灯。幼い娘を連れた同級生の足立玲央さん(23)=旧姓知里、豊橋市=も姿を見せ、友章さんと談笑した。10年前に違う船で活動した足立さんは「花菜ちゃんと一緒によく登下校した。よくしゃべる面白い子だった」と思い出を紡ぎ、友章さんは「同級生たちもみな被害者。ずっと心に抱えながら大人になっている。そうした中、互いにつながる場所が必要」と追悼行事の意義を語った。

 

 友章さんは昨年11月、青年の家に東海北陸地区の教育施設職員を集めた研修で講演。事故の再発防止を願うとともに「萎縮はしてほしくない。施設を利用する学校にも役割はある」と切々と訴えた。豊橋市教委はこれに呼応する形で、今年9月、牟呂中1年生が豊橋市立学校としては10年ぶりに浜名湖で海洋活動の合宿を実施。生徒たちは安全性に優れるダブルハルカヌーをこいだ。

(引用おわり)


2020.12.20読売新聞より引用

 

ボート事故10年 追悼の光

 

浜名湖 花菜さんの父「教訓つなぐ」

 

 2010年に浜名湖で起きた体験学習中のボート転覆事故で、死亡した中学1年の西野花菜さん(当時12歳)を追悼する「菜の花キャンドル」が19日、浜松市北区の県立三ケ日青年の家で営まれた。花菜さんの父友章さんは、約二週間前に亡くなった妻の光美さんの思いも胸に参加し、「これからも事故の教訓をつないでいきたい」と誓った。

 

 事故は10年6月18日、愛知県豊橋市立章南中の生徒ら計20人が乗った手こぎボートが転覆し、花菜さんが命を落とした。悪天候で訓練を強行したことや乗船者名簿を提出していなかったことなどが問題視され、教育現場の安全管理が見直される契機になった。

 

 この日は、はななんさんの同級生や静岡県と豊橋市の教育関係者ら約30人が集まった。キャンドル型のLEDライト約550個を花菜さんが好きだったバイオリンの形に並べて灯し、冥福を祈った。

 

 今月3日に59歳で死亡した光美さんは、花菜さんが子どもの頃から難病の多発性硬化症を患っていた。花菜さんが体験学習のしおりで「将来の夢」と題して書いた作文には「私がなりたいのは医者です」と母を思う気持ちがつづられていた。友章さんは「やっと会えたのかな。2人で空の上で見守ってくれると思う」と話した。

 

 「菜の花キャンドル」は10〜12年に青年の家で開かれた後、13年から会場が豊橋市の公園に移った。花菜さんの同級生が就職する年代になり、最後とする予定だった19年は雨天中止となった。教訓を引き継ごうと、青年の家が友章さんに継続を提案し、再び青年の家で実施していくことになった。

 

(引用おわり)


2020.12.20 静岡新聞より引用

 

教訓継続の光 現場に

 

「忘れない」思いともる

 

 2010年に県立三ケ日青年の家(浜松市北区)のボートが浜名湖で転覆した事故で、亡くなった愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時12=を追悼する行事「菜の花キャンドル」が19日、同青年の家で営まれた。豊橋市から場所を移し、今年からは再び事故が起きた県内で教訓を受け継いでいく。

 

 西野さんの父友章さんをはじめ静岡県教委社会教育課や章南中の教職員、同級生らが参加した。同青年の家のロビーに設置された西野さんをイメージした少女の慰霊像の前で、バイオリンや音符の形に並べた発光ダイオード(LED)のキャンドルに明かりをともした。

 

 今月3日、母光美さんが59歳で他界した。友章さんは「花菜も光美も空の上から見守っていると思う。キャンドルの光が皆さんを応援する光であってほしい」とあいさつした。毎年参加しているという同級生の会社員鈴木教真さん23=豊橋市=は「(同青年の家に来たのは)あの時以来。事故から10年たっても忘れていないし、これからもずっと忘れないと伝えたい。菜の花キャンドルが継続していく限り参加し続けたい」と語った。

 

(引用おわり)